安間信裕
経営者 2026.10.06 Read 6 min

安間信裕

Leader’s word「誰⁠も⁠や⁠ら⁠な⁠い⁠こ⁠と⁠を⁠や⁠る⁠。誰⁠も⁠や⁠ら⁠な⁠い⁠規⁠模⁠で⁠や⁠る⁠。」

株式会社NO NAME 代表取締役

「誰もやらないことをやる」4億円の負債と震災を越え、安間信裕氏が挑む電力の未来

安間信裕 株式会社NO NAME 代表取締役

現在の仕事についた経緯

経営者としての私の原点は、20代で経験した会社の破綻と約4億円の負債です。

2002年、専門学校時代に働いていた編集プロダクションで経営者や事業家の方々と接したことをきっかけに、自分も事業を通じて価値を生み出したいと考え、会社を設立しました。当初は、取材先の飲食店からの相談をきっかけに、不動産や内装、食材の調達などへ事業領域を広げ、商業店舗の出店を総合的にプロデュース。事業は拡大していきました。

しかし、事業の成長スピードに経営管理が追いついていませんでした。「社長とはこういうものだろう」と思い込み、時計や車、絵画などにも資金を投じた結果、2006年に事業は破綻。約4億円の負債を抱えることになりました。

会社を失い、生活基盤も失いました。その後は債権問題にも直面し、精神的にも肉体的にも厳しい時期が続きました。今振り返っても、あの頃が人生の底だったと思います。それでも、そこで立ち止まることはしませんでした。

工場での住み込み勤務をしながら生活を立て直し、リサイクル品の売買など複数の収入源を組み合わせて資金をつくり、約1年半で5,000万円を返済しました。一度「社長」になった後に会社を失い、今度は現場で働く側に戻る。その経験を経て、携帯電話基地局工事を行う会社を設立し、現場で一つひとつ経験を積み直しました。そこでの仕事を評価していただき、代表取締役に就任しました。

さらに2011年、東日本大震災が発生しました。震災の翌々日には社員・協力会社の約30名とともに宮城県へ入り、約半年にわたり通信インフラの復旧に携わりました。現地で目にしたのは、昨日まで当たり前にあった生活や仕事が、一瞬で失われてしまう現実でした。

会社を失った経験と、震災で多くのものが失われる光景。性質は違っても、私の中には共通して「今あるものが、明日も当たり前にあるとは限らない」という感覚が残りました。

この経験が、現在のインフラ事業や再生可能エネルギー事業へとつながっています。社名の「NO NAME」に込めているのも、「自分は何者でもない。常に謙虚でいよう」という思いです。

一度経営に失敗したからこそ、自分が社長であることも、会社が成長していることも当たり前だとは考えていません。失敗しても、もう一度現場から積み上げればいい。4億円の負債を抱えた経験と、震災復旧の現場で得た経験は、今も私の経営判断の根底にあります。

仕事でのこだわり

私の経営を象徴する言葉が、「誰もやらないことをやる。誰もやらない規模でやる。」です。

NO NAMEがここまで成長してこられたのは、完成された市場の中で他社と同じことをするのではなく、必要とされているにもかかわらず、難易度や規模などを理由に誰も手をつけていない仕事に向き合ってきたからだと思っています。

その原点の一つが、2011年の東日本大震災です。震災発生の翌々日、私は約30名の仲間と宮城県へ向かいました。

「誰かがやるだろう」ではなく、必要とされているなら自分たちが動く。分からないことがあれば現場で学び、難しい仕事であれば「できない理由」よりも「どうすればできるか」を考える。その姿勢は、現在の再生可能エネルギー事業にもつながっています。

一方で、私は売上や会社規模だけを成功の基準とは考えていません。NO NAMEでは、本業で生み出した利益の一部を、日本の伝統文化や農業、地域に受け継がれてきたものを守る活動に活用しています。特産松阪牛の生産支援、養蚕や在来品種を守る農家への支援、棚田の保全など、その対象は多岐にわたります。

会社が成長すれば、守れるものも増えていく。そうした姿勢が企業への信頼につながり、新たな仕事や人との出会いにつながる。その仕事で得た利益を、さらに次の支援へつなげていく。私が目指しているのは、単に利益を上げて会社を大きくすることではなく、「会社の成長そのものを、次の価値を生み出す力に変えること」です。

仕事での嬉しい瞬間や楽しい瞬間

仕事で嬉しいのは、やはり社員と一緒に喜べる瞬間です。

一人ではできない仕事ばかりですし、難しい仕事ほど、社員や協力会社の皆さんと力を合わせて乗り越えてきました。そうして一つの仕事をやり遂げたときや、自分たちの仕事が評価され、次の仕事につながったときは嬉しいですね。

また、本業で得た利益を使って、失われかけている文化や産業を残すための力になれることにも、大きなやりがいを感じています。

特産松阪牛の支援もその一つです。一度は飼育頭数がゼロになりかけたところから、再び牛を育て、出荷できるところまで戻ってきました。牛舎も増築し、次の世代へつないでいける環境が少しずつ整ってきています。

仕事を通じて会社が成長し、その力で守れるものが増えていく。そして、その喜びを社員と一緒に分かち合える。そういうときが、仕事をしていて一番嬉しい瞬間だと思います。

今後、仕事でやりたいことや叶えたい目標

まずは、本業である再生可能エネルギー事業をさらに成長させていくことです。

太陽光発電所や系統蓄電所など、これからの社会に必要とされるエネルギーインフラを全国でつくり、会社としてしっかりと利益を生み出せる力をつけていきたいと考えています。

その先にあるのが、本業で生み出した力を、日本に残すべき文化や産業、農業へつないでいくことです。

特産松阪牛や養蚕、在来品種を守る農家、伝統文化など、今は必要とされていても、経済的な理由から続けていくことが難しくなっているものがたくさんあります。

会社が成長すれば、その分、支えられるものも増やしていけます。

事業を成長させることと、次の世代に残したいものを守ること。その二つが循環しながら続いていく仕組みをつくることが、これから実現していきたいことです。

同じ道を志す次の世代へ

失敗を恐れずに、まずやってみてほしいと思います。

自分自身も、これまでずっと順調だったわけではありません。会社を立ち上げてうまくいかなかったこともありますし、思い通りにならないこともたくさん経験してきました。

でも、失敗したからこそ分かったことや、その経験があったからこそ出会えた仕事もあります。

最初から何でもできる人はいません。分からないことがあれば、人に聞いて、学んで、またやってみればいい。年齢や経験に関係なく、謙虚に学び続けることは大切だと思っています。

そして、目の前に誰もやりたがらない仕事や、難しそうな仕事があったときこそ、そこには自分が成長できる機会があるかもしれません。

失敗することよりも、やらずに終わることを恐れてほしい。

自分で一歩踏み出した経験は、たとえ思ったような結果にならなかったとしても、いつか必ず次につながっていくと思います。

10年後の業界をどう見ているか

10年後、再生可能エネルギーは今以上に社会にとって当たり前の存在になっていると思います。

一方で、太陽光や風力による発電設備を増やすだけではなく、「つくった電気をどう使うか」ということが、より重要になってくると考えています。

太陽光発電は天候や時間帯によって発電量が変わります。昼間に多く発電しても、その時間に使い切れなければ、せっかくつくった電気を十分に活かすことができません。そこで重要になるのが、余った電気を貯め、必要な時間に使えるようにする蓄電所です。

今後はAIやデータセンターの普及などによって、電力需要がさらに増えていくことも考えられます。電気を「つくる」だけでなく、「貯める」「必要なところへ届ける」までを含めて、社会全体で考えていく必要があります。

再生可能エネルギーを増やすことが目的ではなく、それを安定して使える社会をつくることが大切です。

10年後に向けて、私たちも発電所や蓄電所をつくる会社として、現場で培ってきた技術や経験を活かしながら、その一端を担っていきたいと考えています。

Profile

安間信裕

株式会社NO NAME 代表取締役

愛知県の専門学校を卒業後、1999年に編集プロダクションへ入社。仕事を通じて経営者や事業家と接するなかで起業を志し、2002年に有限会社夢街クリエイトを設立、商業店舗の出店プロデュース事業を手掛ける。事業の急成長と挫折を経験したのち、現場に立ち返って再起を図り、2008年に携帯基地局工事・通信建設工事を手掛ける株式会社FKを設立。2010年に代表取締役に就任する。2011年の東日本大震災では、発生直後から半年間にわたり社員・協力会社約30名とともに東北で通信インフラの復旧に従事。2016年に同社取締役を退任し、2018年に株式会社NO NAMEを設立、代表取締役に就任。太陽光発電所や系統用蓄電池などのエネルギーインフラ事業を全国で展開するほか、本業の利益を伝統文化や農業の支援にも役立てている。